在宅ホスピス緩和ケアにおける対話の本質 - スピリチュアルケア・カウンセラーの実践から|(元)ニューヨーク訪問看護サービス・ホスピス緩和ケア 終末期スピリチュアルケア・プログラムマネージャー|岡田 圭さん

40年間のニューヨーク生活のうち最後の15年半を、ニューヨーク最大の在宅ケア組織VNS Health(旧VNSNY)のホスピス緩和ケア部門でスピリチュアルケア・カウンセラーとして過ごした岡田圭氏。患者さんやご家族との対話を重ねる中で、人が本来持っている力をどのように引き出し、支えていくのか。実践から見えてきた対話の本質について伺いました。
(元)ニューヨーク訪問看護サービス・ホスピス緩和ケア
終末期スピリチュアルケア・プログラムマネージャー 岡田 圭さん
1981年に上智大外国語学部ポルトガル語学科卒業、翌年、ロータリー財団奨学生として渡米。ニューヨークの美大を卒業後、舞台芸術創作を経て、ユニオン神学校卒(神学修士)。2006年より ニューヨーク訪問看護サービス・ホスピス緩和ケアでスピリチュアルケア・カウンセラーとして勤務。2021年末、終末期スピリチュアルケア・プログラム・マネージャーの職務から退職。専門チャプレン協会APC の全米認定チャップレン。コロンビア大学「死に関するセミナー」準会員、国際スピリチュアルケア協会IASC会員。著書:「いのちに驚く対話」(医学書院)
人生の知恵を信頼する姿勢
患者さんとご家族との最初の出会いで心がけていることを教えてください。
新しい患者さんには、必ず電話で自己紹介をしてから訪問します。その際に重要なのは、これまで受けてこられた治療中心の医療とは異なり、私たちの医療支援はあなたがよく生きることを支えるものだと伝えることです。「あなたにこうしなさい、ああしなさいと言いに行くのではありません。これからは、あなたが主役。どのような体験をされていて、何が大切で、何を望んでおられるのか。それをしっかり聞かせていただき、あなたに合ったサービスをデザインしていきます。」と伝えます。
患者さんとの関係性をどのように築いていますか。
病気を持つということは、治療を専門とする医療者に対して立場が弱い状況です。特に病院では、治療優先の医療者の判断に従わざるを得ない関係性が生まれがちです。
一方で在宅では、患者さんがこれまでの生活習慣や価値観を大切にしながら、医療を生活の一部として取り入れていきます。その中で私たちは、患者さんの人生の最後の時期に関わります。時間的にも、その方のことを十分に知ることはできません。でも、その方も私たちと同じように、人生でいろいろな困難に直面し、傷つき、癒され、様々な経験を経て今日まで生きて来られた人です。その過程で培ってきた、その人にしかない知恵や勇気、まだ見ぬ可能性があるはずです。それを持っているという人間性への信頼を向けるような接し方を心がけています。
その人の力を引き出すために、心掛けていることを教えてください。
長い人生の中で困難を克服してきた体験は、よほど機会がないと振り返ることはありません。特にホスピス緩和ケアに入る方々は、余命が短いという意識に圧倒されていることも多く、自分の中にある知恵に気づく余裕がない状態です。
ですから、多職種チームで力づけながら、その人の中から自然に「あのときこうだったな」「あの体験は今に使えそうだな」という気づきが出てくるように支えていきます。見えなくても地中に作物が育っているように、水をやれば芽が出てくると信じて関わるのです。自分の思い通りになればとの期待ではなく、知られぬ可能性への信頼なのです。
患者さんから学ぶ支援者の姿勢について教えてください。
専門職として必要な支援は提供しますが、人と人との関わりには、私たち自身も多くのことに気づかされる側面があります。患者さんが何か深い気づきを語ってくださったとき、それにこちらも共感したり教えられたりすることがあれば、「今おっしゃったことが、とても心に響きました」「その言葉から、私も大切なことに気づかせていただきました」と、素直に伝えるようにしています。
患者さんが私たちに与えてくれているものに気づいたら、それを言葉にして返していく。そうすることで、支援する側、される側という一方的な関係ではなく、お互いに学び合える関係が生まれてくるのです。
印象に残るエピソード
多くの患者さんと関わってこられた中で、特に印象に残っているエピソードを教えてください。
印象深い事例の一つは、ある若い患者さんとの関わりです。この方は、なぜ自分がこんなに若くして死ななければならないのかと、最初からずっと怒りを抱えていました。しかし、その怒りの中でも私の訪問は断るでもなく、私は週に1回、その怒りややるせなさ、心細さ、死ななければならないことへの怒りを聴かせていただきました。
希望について尋ねても全く返事がなかった彼が、容体が悪化してきたある日、自分から初めて希望を語ってくれました。「僕にとって唯一の希望は、この全てから『何か良いもの』が生まれることなんだ」と。
その後の変化はどのようなものでしたでしょうか。
彼を介護しておられたお姉様から、彼が安らかに亡くなったと連絡がありました。亡くなる前日、「愛している」という言葉を彼と交わすことができたそうです。和訳すると「ありがとう」でしょうか。お姉さんが語る口調は、とても静かで安らかでした。彼が言った、言葉にならない「何か」が、強く私の心に残りました。強烈な印象を残して彼は旅立っていったのです。
あれから10年ほど経ちますが、各地での講演で彼の言葉を引用し続けています。『何か良いもの』、と彼が言った、言葉にならない命への畏敬を確かに私の心に刻み込んでくれました。
患者さんの語りから学ぶ
コミュニケーションで難しいと感じる場面はどのような時でしょうか。
訪問を数回重ねた後、突然「話したくない」と言われた患者さんがおられました。奥さんが気持ちの整理に私の支援を求めておられたので彼に会わずに訪問は続けました。自分のせいだと責めず、自分が至らなかったとも決めつけず、今は話せない時期なのだとそのまま受け止めるようにしました。帰り際に「また来ましたよ」と声をかける時期が数週間続いた後、奥さんから「今日は話したがっている」と言われ、その後の対話がとても深いものになったのです。
話したい時に話せる人として、話したくない時は無理強いせず。晴れの日もあれば曇りの日もある、そんな感覚で支援を続けることが大切です。
そのような姿勢をどのように身につけたのでしょうか。
終末期の方との関わりは、その方の人生の旅路の最後に同伴させていただくことです。その方なりの道を探すプロセスを尊重するため、気づかされたことがあります。背景を全部理解しようとせず、こちらの判断を先行させず、ありのままを受け止めながら、相手の心が必要とする空間を尊重する。そうすることが本人を力づけることになるのです。そのような関わり方を通して私たち自身も解放されていくように感じます。死ぬときだけでなく、死ぬ前から少しずつ練習できることなのかもしれません。
亡くなった後も、その方々は私たちに語りかけ続けてくれている。そんな気がしています。
日本の医療への提言
日本の在宅医療の可能性についてどのようにお考えですか。
昨年の夏、輪島で被災しながらも地域の人たちに尽くしておられる、訪問看護師の中村悦子さんに9日間ほど同行させていただきました。そこで目にしたのは、被災者の方たちを支援する医療者と地域住民との親密な共生と協調。この体験を通して、改めて日本の医療文化の豊かさを実感することができました。
その後、各地で地域に素晴らしい医療支援を在宅で届けておられる方々との出会いがありました。また、災害医療支援団体DC-CAT による珠洲市北岸、高屋町での聞き取り調査に参加する機会をいただき、被災地の支援と再生のためにも、日本の在宅医療には今後進展してゆけることがたくさんあると実感しました。
それぞれの地域には、独特の土地の文化や価値観、人生観や死生観が息づいています。その意味での「多文化」にも学べたら、今後どんどん多彩で創造的な取り組みが在宅医療を豊かにしていくことでしょう。
最後に、日本の医療者へのメッセージをお願いします。
完璧に「やるべきこと」をこなせているかという自己評価の不安から、かえって患者さん自身が持っておられる独自の力や主体的な生き方への信頼を見失うことがあります。責める機会を狙っているような「世間の目」や、人にどう見られるかを恐れる気持ちに縛られすぎると、目の前の患者さんへの大切な心配りや、相手が伝えようとしていることを見逃してしまうかもしれません。
大切なのは、 誠実な好奇心と関心を持って患者さんを理解し、ご本人の知られぬ知恵や生きる力に信頼を寄せることだと思うのです。起きていることを本人がどう受け止め、信じ、表現し、何を望み、何を大切にしているのか。一つ一つの言葉や表情の裏にある思いに気づき、応答しながら信頼関係を築いてゆく。そのような関わりの中にこそ、医療の本質があるのではないでしょうか。
世界でも稀有な、優しさと繊細さを持つ日本人の心。この大切な資質を、患者さんや家族の生きる力の支えにしたいと思います。そのためには、私たち自身が意図的に自らの心に向き合い、思いをよく理解することが大切です。そして、生きてきた人生で学んだ知恵を活かしてゆく術を、共に学び続けていきましょう。そのような日々の発見と成長を楽しんで生きてゆけたら、是好日だと思っています。