「人間力」を生かし、医師として集大成の在宅医療に取り組む|医療法人忠恕 春日部在宅診療所ウエルネス院長| 笹岡 大史先生
- #キャリア
循環器内科医でありながら、まだ担い手の少ない障がい児や心臓疾患患者の訪問診療も手がける笹岡大史先生。そのベースには、「人間学」「人間力」があると言います。大学病院の部長職から介護施設の施設長に転身するなど様々な経験を積み重ねたのち、2018年から在宅医療に取り組む笹岡先生にお話を伺いました。
医療法人忠恕 春日部在宅診療所ウエルネス 理事長・院長
笹岡 大史 先生
大学病院で循環器内科部長を歴任した後、介護施設長を務め、精神科病院で内科医としても経験を積む。その後、春日部在宅診療所ウエルネスを開設し、在宅医療を中心に診療。小児科から内科まで幅広く対応し、大学院経営管理研究科で介護医療制度や経営管理も学び、セミナー活動を通して在宅医療の啓発に取り組む。終末期医療や緩和ケアにも注力し、地域医療に貢献している。
「人間力」とは、過酷な状況でも生き延びる力
―笹岡先生は開業以来、毎月院内で「人間学」を学び、「人間力」を鍛える勉強会をしていらっしゃるそうですね。先生のキャリアを伺うにあたり、まず「人間学」への関心についてから伺ってもよろしいですか。
医療は人間相手の仕事ですから、耐える力と思いやる力が求められます。“精神的な基礎体力”が人間力のベースだと考えて、毎月、人間学を学ぶ勉強会を行っているのです。
人間力というのは、一つには、どんな過酷な状況でも生き延びる力です。それが基本にないと、努力もできないと思うのです。人間学について、僕は出身地の三重県から転地進学した高知県の明徳義塾中学校・高校で学びました。山の中にある全寮制の学校でひたすら勉強とクラブ活動に打ち込み、精神的な基礎体力が鍛えられたと思っています。
―培われた人間力は、その後のキャリアでどのように生かされていると感じますか。
一番には、思い通りにならない状況に陥ったときですね。実は僕は大学病院時代、意に沿わない処遇を受けて鬱になりそうなほど悩んだことがあるのですよ。
北里大学医学部を出て関連病院で研鑽を積んで、東京医科歯科大学で遺伝子の基礎研究で論文を発表。医学博士を取得し、大学病院で勤務するようになってからのことです。循環器内科部長や准教授、病院長補佐を務めることになり、人の上に立つなら経営のことを学ばなくてはと考え、週末に学べる慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネススクール)に通うことにしたのです。
そこで、「ノー・マージン、ノー・ミッション」という言葉と出会いました。ある程度の利益を得ないと目的も達成できない、というような意味です。国の定める医療制度のもと、どのような方向に向かうべきかを考え、どのように人を動かし、活かすかを考慮する必要がある。ビジネススクールでの学びからそう考えました。それは今の当院の運営にも生きていますが、大学病院のような組織で受け入れてもらうのはなかなか難しかったのです。
部長になった当初は心臓カテーテル手術など専門性の高い治療に取り組み、実績も上がっていました。でも、あるとき突然、中堅のスタッフが民間病院に引き抜かれ、高度な治療ができない状態になってしまったのです。
医者のくせにビジネススクールなんかに行っているからだ、引き抜きもその後の実績の低下も部長である僕の責任だと言われ、循環器内科部長から一般内科部長に異動になりました。事実上の更迭です。ショックで眠れなくなり、このまま大学病院での勤務を続けるかどうか非常に悩みました。
介護老人保健施設施設長に就任し、救急搬送件数を1/3に
―つらい経験をされたのですね。その厳しい状況を乗り切る「胆力」が、人間力だったのでしょうか。
胆力、そうですね。どんな過酷な状況になっても頑張れる力と、当院の理念としてかかげている「忠恕」。「恕」に忠実、つまり、思いやりに忠実に生きること。社会のため、他のため、どんな過酷の状況になっても頑張れる力ですね。
このときは、悩んでいるさなかに介護老人保健施設の施設長をやってみないかと声をかけていただきました。介護老人保健施設は高齢化社会で求められている施設ではある。しかし、心臓カテーテルのような高度な医療ができるわけはありません。循環器内科医としては迷いましたが、自分が必要とされている場で仕事をしたい、ここは新しい世界でチャレンジしてみよう、と思い切ることができました。
―介護老人保健施設の施設長というチャレンジはいかがでしたか。
前任の施設長は精神科医だったのですが、引き継いで処方内容を内科医の目で見ると、改善の余地がありました。当時は、薬が効きすぎて昼間寝ているような入所者が多かったのです。
それで処方を見直していったら、処方薬の量が半分ぐらいになり、みな昼間もしっかり起きて過ごせるようになりました。施設での看取りにも取り組んで、救急搬送も3分の1以下に。そうしたら消防署から電話がかかってきたのです。「最近あまり呼ばれないですけど、何かあったんですか」って(笑)。
介護老人保健施設の施設長を3年間、その後、精神科病院の内科医を3年間務めて、2018年4月に当院を開業しました。
患者さんの人生最期の1%を幸せにしたい
―在宅療養支援診療所を開業しようと思われたのはどのようなきっかけでしたか。
施設長時代からSNSを始めて、在宅医療関係者や介護関係者と一緒に勉強をする機会が増えました。それで、在宅医療っておもしろいな、と。病院にいると、命には終わりがあることに目が向きにくいのです。だから、より良い最期を迎えてもらおうという意識も乏しい。在宅医療を知って、救命以外の医療があることに意識が向きました。
マザー・テレサに「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」という言葉があります。僕はこの1%にかかわりたいと思った。人間力を勉強してきたこともあって、その人の人生を不幸で終わらせないために、病気を治すだけでなく、その一歩先に進まないといけないと考えるようになったのです。
―治療だけではない、一歩先とはどのようなことでしょうか。
今、小児から高齢者まで様々な患者さんを診ています。特別養護老人ホームの嘱託医も担っていて、中には難しい心臓疾患がある方もいます。普及した小型エコーを活用する在宅医は増えてきましたが、まだ心臓の状態をエコーで確認できる在宅医は多くありません。僕のような循環器専門医が在宅チームに一人いれば、病院でないと診られなかった心臓疾患の患者さんも在宅で療養できます。これも一歩先と言えるかもしれません。
―そうなのですね。小児を診られる在宅医も多くないと聞きます。循環器内科が専門の先生は、小児患者を診るスキルをどこで身につけられたのですか。
大学病院時代に非常勤で勤務していた内科クリニックが、とても小児患者が多かったのです。週1~2回の勤務を約10年間続けたので、ある程度の技術は身につきました。
在宅療養の障がい児は通院するのがとても大変なので、家で予防接種を打つだけでもとても喜ばれます。でも、それすら引き受ける在宅医はとても少ないのが現状です。僕が今担当している小児には胃ろうをしている子もいますが、胃ろうのバルーンの交換も、不必要な通院や入院をさせずに在宅で行っています。
患者さんは年齢も様々ですが、強いこだわりがある方とか、医療不信の方とか、難しい患者さんも紹介されてきます。でも基本、どんな患者さんも引き受けるようにしています。
―医療不信があって、訪問診療なんていらないという患者さんにはどのように介入されるのでしょうか。
初診で心がけていることと言えば、同じ目線の高さで丁重に入っていくぐらいです。こちらが上から目線では、患者さんも身構えますから。そうすると、ホッとして受け入れてくれる方が多いですね。これまでにいろいろなことを経験してきていますから、どんな患者さんでもどんな状況でも、あまり動じないと思います。そんな見えない自信のようなものを患者さんも感じ取っているのかもしれません。