データで見える在宅医療の質:おうちの診療所「QI-8」の取り組み
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「医療の質」は、多くの医療機関で重要なものとして認識されていると思います。一方で、実際に、組織全体、チーム全体で「質」に取り組むのは、容易ではありません。
医療現場において「医療の質」という言葉はよく使われるものの、その定義は人によって大きく異なることがあります。この言葉のズレは、組織全体で質の向上に取り組む際に重大な障壁となり得ます。
組織として在宅医療の質を明確に定義し、データに基づいて評価していくことには大きな意義があります。「医療の質」に対する共通認識がなければ、質向上の取り組みも各自バラバラの方向を向いてしまい、組織としての成果は限定的になってしまうでしょう。
本稿では、「おうちの診療所」が実践している在宅医療の質指標「QI-8(Quality Indicator-8)」を具体例に、在宅医療の質評価について解説します。
株式会社DTG 代表/おうちの診療所 経営補佐(医師)
岩本 修一 先生
広島大学医学部医学科卒業。福岡和白病院、東京都立墨東病院で勤務。2014年より広島大学病院 総合内科・総合診療科助教。2016年よりハイズ株式会社で病院経営およびヘルスケアビジネスのコンサルティングに従事。2020年1月よりおうちの診療所目黒(現・医療法人社団おうちの診療所)を共同開業。2021年10月より株式会社DTGを創業し、代表に就任。医療機関に対して医療DX支援、採用支援、組織開発支援をおこなっている。
1. 在宅医療の質とは何か
質の定義における多様性と共通点
医療の質とは何でしょうか。WHO(世界保健機関)は医療の質を表す主な項目として、「有効性、効率性、アクセスの確保、患者中心、公平性、安全性」の6つを挙げています。しかし、この抽象的な定義を具体的な在宅医療の現場に落とし込むとなると、様々な解釈が生まれます。
医師は医学的適応(エビデンス)を重視する傾向がある一方、看護師は患者さんのQOLや心理的ケアを「質」の中心と捉えることが多いでしょう。また、同じ医師の中でも、ある医師はエビデンスに基づいた治療を最優先し、別の医師は患者本人の意向を尊重した医療を「質の高い診療」と考えるかもしれません。
これらの多様な視点には共通点もあります。それは「患者さんの益になること」を目指している点です。しかし、何が「益」になるのかの解釈が異なると、時に方向性がぶつかり合うこともあります。
在宅医療特有の質の考え方
在宅医療の質を考える上で、病院医療との大きな違いは「生活の場」での医療であるという点です。病院では治療と入院期間短縮が優先されますが、在宅では患者さんや家族の生活や価値観を重視することが多いです。そのため、医学的な正確さや効率性を考えつつも、「患者さんの望む生き方や暮らし方を支え、邪魔しないためにどうするか」を考えて対応する割合が多いと思います。
また、在宅医療では「院外の多職種連携」が不可欠です。診療所だけでなく、訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所、病院、薬局など、多くの事業所が関わります。そのため、質の評価においても、医療的側面だけでなく、ケアの連携や情報共有なども重要な要素となります。
組織として質を定義する意味
個々の医療者が「良い医療」を追求することは大切ですが、組織として質を定義することには、重要な3つの意義があります。
まず、院内でのコミュニケーションが明確になります。「私たちの組織はこのような医療を目指している」という共通認識があれば、日々の意思決定や優先順位付けがスムーズになります。また、新しいスタッフが加わった際にも、組織の方向性を明確に伝えることができます。
次に、客観的な評価が可能になります。主観的な「良し悪し」ではなく、定量的あるいは定性的な指標に基づいて評価することで、実際に改善しているのかどうかを確認し、改善策を見出すことができます。
そして何より、「患者さんのためになること」に組織全体が集中できるようになります。個人の考え方や経験の違いを超えて、組織として目指す方向が明確になれば、そこに向かってスタッフ全員が力を合わせることができるのです。
2. 質評価の基本的アプローチ
データ収集・分析・改善のサイクル
医療の質を評価する基本的なアプローチは、「データを収集し、分析し、改善につなげる」というサイクルです。この単純なプロセスを地道に繰り返していくことが、質の向上には欠かせません。
具体的には、まず評価したい項目(指標)を決め、それに関するデータを日常の診療の中で収集します。次に、収集したデータを定期的に分析し、現状を把握します。そして、分析結果から課題を特定し、改善策を検討・実施します。
重要なのは、このサイクルを一度だけでなく、継続的に回していくことです。改善策を実施した後も、再びデータを収集し、効果を確認します。この繰り返しによって、少しずつ質を高めていくことができるのです。
データ収集は負担になりがちですが、できるだけ既存の業務フローの中で自然に収集できる仕組みを工夫することが大切です。また、すべての指標を一度に評価するのではなく、組織の課題に応じて優先順位を付け、段階的に取り組んでいくとよいでしょう。
診療報酬と質評価の方向性
近年の診療報酬改定では、質の評価に基づく加算が増えてきています。在宅医療で特に注目すべきは「データ提出加算」です。この加算では、医療機関が集計したデータを提出することで診療報酬上の評価を受けられる仕組みとなっています。これは、在宅医療においても客観的データに基づく質の評価と改善が重視されるようになってきていることを示しています。提出されたデータは、次回以降の診療報酬改定の基礎資料として用いられ、医療政策の観点で「質の評価」として診療報酬に反映されます。
このような動きは、医療の質を可視化・見える化し、エビデンスに基づいた改善を促進するという方向性を示しています。単に医療を提供するだけでなく、その内容や結果を客観的に評価することが求められる時代になってきているのです。
科学的アプローチとしての基準設定と評価
自院における質評価の話に戻ります。
医療の質を評価するためには、まず「何を目指すのか」という基準(スタンダード)を設定する必要があります。この基準があってこそ、現状がどの程度その基準に近づいているか、あるいは乖離しているかを評価することができます。
基準を明確にし、それに基づいて評価・行動するという方法は、科学的アプローチの基本原則と言えるでしょう。感覚や経験だけに頼るのではなく、客観的な基準とデータに基づいて診療の質を評価することで、より効果的な改善が可能になります。
3. おうちの診療所の「QI-8」の実践
QI-8の概要と選定理由
「おうちの診療所」では、在宅医療の質を評価するための独自の指標として「QI-8」を設定しています。これは、在宅医療の質を多角的に評価するための8つの指標です。
具体的な8項目は以下の通りです。
- 症例の非選別率:症例の選り好みをせず幅広い症例を受けているか。初診時の平均要介護度と重症度で測定予定。
- 対応疾患範囲:幅広い疾患に対応できる体制を維持できているか。受け持ち患者の主病名割合と、お断りした紹介患者の妥当性から算出。
- イベント発生数:転倒・新規の褥瘡・疼痛管理不十分など、質に関係すると思われるイベントの全患者数当たりの発生数を測定。
- 緊急コール率:全患者数当たりの電話再診実施数。
- 緊急往診率・救急要請率:全患者数当たりの緊急往診発生数、または、救急要請数。
- 救急搬送後入院が必要だった割合:救急搬送後の入院割合。
- 自宅看取り率
- 在宅医療からの卒業症例:在宅医療から外来通院に戻れた症例。
これらの指標を選定した理由は、在宅医療における「適切な対応」と「適切な看取り」という目指す方向性を反映したものだからです。おうちの診療所では、単に患者数を増やすことや訪問回数を増やすことではなく、「適切に対応し、適切に看取りを増やす」ことを目指しています。
QI-8には通常の「診療の質」指標だけでなく、医療経済的な視点も含まれている点が特徴です。例えば、「4.緊急コール率」や「5.緊急往診率」は、現在の診療報酬制度では上がるほど診療所の収益が増える仕組みになっていますが、おうちの診療所では予防的介入によってこれらを適切に減らすことを目指しています。これは、患者さんの負担軽減、スタッフのQOL向上、医療費の適正化という「三方良し」の診療を実践するための指標設計となっています。
「適切に対応し適切に見取りを増やす」という方向性
おうちの診療所では、「適切に対応し、適切に看取りを増やす」ことを目指しています。ここでいう「適切に対応する」とは、患者さんの状態や希望に応じた医療を提供することを意味します。「必要な時には積極的な治療を行い、不要な医療は控える」という、医療従事者の基本的な考え方に則しています。
また、「適切に看取りを増やす」とは、患者さんが望む場所で、望む形で最期を迎えられるよう支援することを意味します。不必要な救急搬送や入院を減らし、患者さんやご家族の希望に沿った看取りを実現することを目指しています。
この方向性は、おうちの診療所の理念や価値観を反映したものであり、すべての在宅医療機関がこれに従う必要はありません。それぞれの医療機関が、自らの理念や地域の特性に合わせて「目指す医療」を定義し、それに基づいた質評価の指標を設定することが大切です。
実際の運用方法
QI-8の運用は「単一指標ではなく複合的に見る」というアプローチが特徴です。全ての指標を上げるべき、あるいは下げるべきというわけではなく、全体のバランスを見ながら評価します。例えば、「5.緊急往診率」を下げることだけに注力すると、本来必要な緊急往診まで控えてしまう可能性があります。そうなると、往診で対応すべき患者さんまで病院に搬送されてしまう事態を招きかねません。
このような歪みを防ぐため、QI-8では複数の指標を組み合わせています。例えば、「5.緊急往診率」と「6.救急搬送後入院が必要だった割合」を併せて見ることで、「緊急往診を減らす努力をする」と「緊急往診をしない」の違いを明確にします。おうちの診療所では、「不適切な医療」があれば「QI-8」のどこかに歪みが表れると考え、日々のカンファレンスで振り返っています。
QI-8の運用方法は基本的にシンプルです。毎月のカンファレンスで8項目のデータを収集・分析し、スタッフ全員で共有します。データ収集は既存の診療記録や報告書を活用し、できるだけスタッフの負担にならないよう工夫しています。また、これらの指標を測定しやすいよう、カルテのフォーマットも工夫しています。
カンファレンスでのデータ分析では、単に数値の高低を評価するのではなく、その背景にある要因を多面的に検討します。例えば、「3.イベント発生数」が増加した場合、それがどのような患者さんでどのような状況で起きたのか、予防できた可能性はあったのかなどを詳しく検討します。また、スタッフからのボトムアップの意見を重視し、現場からの気づきや提案を品質改善の重要なきっかけとしています。
具体的な改善例としては、「4.緊急コール率」が高いことがわかった患者さんには、定期訪問時により丁寧な説明や予防的介入を行うようにしたり、「3.イベント発生数」が多い時間帯や曜日があれば、その時間帯のケアの在り方を見直したりといった取り組みがあります。
この一連のプロセスを通じて、おうちの診療所では「データに基づく質評価と改善」の文化が根付いてきました。数値だけを追うのではなく、その背景にある患者さんの状況やスタッフの取り組みを多角的に評価することで、真の意味での質向上につながっていると実感しています。
まとめ
在宅医療の質を評価し改善していくことは、「患者さんのためになること」に組織全体が集中するための重要な取り組みです。その際、医療機関ごとの「目指す医療」の多様性を認めつつ、自院の理念や価値観に合った質評価の指標を設定することが大切です。
おうちの診療所の「QI-8」は一例に過ぎませんが、「適切に対応し適切に看取りを増やす」という方向性に基づいた指標設定と運用の実例として、参考にしていただければ幸いです。
質評価を組織に根付かせるためには、スタッフの巻き込み、データ収集の負担軽減、振り返りの文化づくりが重要です。トップダウンで指標を押し付けるのではなく、スタッフ全員が「なぜこの指標が重要なのか」を理解し、自発的に取り組める環境を作ることが成功の鍵となります。
読者の皆さんも、自院での質評価を始める際には、難しいことをやる必要はありません。日々の診療の中で大切にしていることを指標として設定し、それを少しずつ増やしていくアプローチが現実的です。完璧を求めるのではなく、できることから始め、継続的に改善していく姿勢が大切です。
在宅医療の質評価は、単なる数字の管理ではなく、患者さんにとってより良い医療を提供するための道具です。この道具を活用して、それぞれの医療機関が「目指す医療」に一歩ずつ近づいていくことを願っています。