日本の在宅医療の課題は「今が良い、ゆえに、変革に弱いこと」である|中央大学ビジネススクール教授・多摩大学MBA特任教授|真野 俊樹 先生
医療経営などを中心に研究し、マクロの視点で医療や介護を俯瞰して見通してきた中央大学ビジネススクール教授・多摩大学MBA特任教授の真野俊樹先生。真野先生は「在宅医療は、未来の医療の姿である」と話します。その一方で、日本で行われている在宅医療と海外で主流となっている在宅医療には、大きな違いがあるとも指摘します。真野先生に、在宅医療の課題や今後の展望をうかがいました。
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中央大学ビジネススクール教授 多摩大学MBA特任教授
真野 俊樹 先生
1987年名古屋大学医学部卒業 医師、医学博士、経済学博士、総合内科専門医、日本医師会認定産業医、MBA。臨床医、製薬企業のマネジメントを経て、中央大学大学院戦略経営研究科教授、多摩大学大学院特任教授、名古屋大学未来社会創造機構客員教授、藤田医科大学大学院客員教授、東京医療保健大学大学院客員教授など兼務。出版・講演も多く、医療・介護業界にマネジメントやイノベーションの視点で改革を考えている。
日本と海外で大きく異なる在宅医療事情
在宅医療は、未来の医療の姿です。今後の医療全体の大きな流れを考えれば、間違いなく病院医療から在宅医療へと進んでいくでしょう。もちろん手術など高度な治療が必要になったときは、これまで通り病院での治療が必要になります。しかし、その手前の段階までは、限りなく在宅でできるようになるのではないでしょうか。
ただ、正確にいえば、これはかなり広範な意味での在宅医療を指しています。どういうことかというと、日本と海外では同じ「在宅医療」といっても、その意味するものが大きく異なるからです。
日本で在宅医療といえば、医師が患者宅などを訪問して診察することを指しています。在宅時医学総合管理料などの点数があるとはいえ、日本ではあまり包括的な報酬体系は馴染みがなく、医師が訪問して初めて点数が算定できるようになっています。
これに対してヨーロッパなどでは医師が患者宅を訪問することは少なく、看護師や薬剤師、栄養士などがチームで動いていて、医師はあくまでマネジメントが中心になります。つまり、医師は患者データや医療スタッフが行ったケアの内容を把握し、実際に患者宅へ行くのは年に1、2回程度です。
このように一口に在宅医療といっても、日本と海外ではやり方が大きく異なります。こうした中で、今後の在宅医療の未来を考えると、日本でイメージする在宅医療と海外での在宅医療の普及は違ってくる可能性があるのです。
海外では、医師が訪問するのではなく多職種のチームで訪問し、医師はマネジメント役を行う現在のやり方に、今後はさらにITを用いたデータの活用などが加わった形で在宅医療が普及していく可能性があります。例えば、医師はITを使って患者データを収集してマネジメントし、オンライン診療と多職種チームによる訪問の組み合わせで在宅医療を展開するなどが考えられます。
これに対して日本では、引き続き医師が患者宅を訪問して行う形の在宅医療が進んでいくでしょう。日本は開業医が多く、患者が受診したいときにすぐ受診することができるため、オンライン診療に対するニーズはそれほど高くないのです。特に高齢者などはオンライン診療に馴染みにくく、オンライン診療を活用した在宅医療が普及しにくい環境にあります。また、ITを活用した患者データの収集・分析などがどこまで取り入れられるかも不透明です。
もちろん、それぞれの国が医療制度や国民性、医療資源などにあった形で在宅医療を進めていくわけですから、一概にどちらが良いとはいえません。日本は人口が密集しているので患者宅を訪問することができますし、海外ではそれが難しいのでITで代用する方向に進んでいるからです。日本ではITの活用が進まない一方で、医師と患者がより近いところで、人間味があるやり取りができるという意味では、在宅医療の理想形ともいえます。
患者の状態を把握するにはITの力が不可欠に
しかし、日本の在宅医療に課題がないかといえばそうではありません。患者宅を訪問することによって得られる情報は多くありますが、それだけで全生活を把握できるわけではないからです。患者の状態を正しく把握するためには、やはりITの力を活用することが必要です。
また、これまでのように医師が個別に訪問するやり方を続けていけば、当然のことながらより多くのマンパワーが必要になりますし、コストもかかります。世界の潮流がITを活用した在宅医療になる中で、患者が望むからといって医師が直接訪問するやり方を継続し、日本だけがグローバルスタンダードから外れていて良いのかという問題も残ります。
在宅医療に限った話しではありませんが、日本では包括的に診るという概念があまり根付いていません。これに対して海外では、かかりつけ医を登録して包括的に診る体制が整っています。今後ITを使って患者情報を収集する技術が進めば、個人情報の問題をクリアする必要はあるにしても、海外では医師が自分のかかりつけ患者の情報を包括的に把握することができるようになるでしょう。そしてその情報をもとに、軽症ならば看護師が、もう少し重症ならば医師が訪問するなど、より精密なマネジメントが可能になるのです。
まとめれば、日本の在宅医療の課題、もっと言えば日本医療の課題は「今が良いゆえに、変革に弱い」点だといえるかもしれません。今は確かに良いのですが、今後ITがさらに進歩したり、それによって医療費を抑制したり予防医療を推進したりできるとなったときに、果たして昔のままのやり方を踏襲することが良いのかという問題が出てくるわけです。
さらにいえば、若くてITリテラシーが高い人たちが40代、50代になったときに、日本のかかりつけ医は今まで通りの医療を提供していて、一方でGoogleやAppleはデータを用いた健康管理・予防医療などを提供していたとします。するともしかしたら、その人たちの健康管理は日本のかかりつけ医ではなく、Googleなどが担うようになってしまうかもしれないのです。
アメリカなどではすでにこうした動きがあり、Amazonがかかりつけ医のグループを買収するという動きが始まっています。逆に、IT化が進んでいるといわれるシンガポールでは、かかりつけ医に予防医療を担当させて包括的にしようとしています。こうした流れを見ていると、おそらく予防医療をかかりつけ医が中心でやるのかIT系のサービスが中心でやるのかというのは、大きな分かれ道のようにも思えてきます。
若い医師には、医療的に高度な技術を学んでほしい
では、こうした課題を踏まえて今、在宅医療に従事する人たちは何をすべきか。これは難しい問題ですが、どこか頭の片隅では今後、在宅医療を取り巻く環境が大きく変化する可能性があることを知っておいた方がいいでしょう。 一方で、目先の数年単位で見れば、まだまだ高齢者は増えますし在宅医療のニーズは高まっていきますから、当面は目の前の患者に対して真摯に向き合うことが重要です。
私自身、今は臨床がメインではないためあまり偉そうなことをいえる立場にはありませんが、特に若い先生には、医療的に高度な技術を学んでほしいと思っています。なぜなら、単純なことは今後ITで置き換わっていく可能性があるからです。極論をいえば、患者と会話をして聴診器をあてて薬を出すような行為は、やがてはなくなっていく可能性だってあるわけです。
だからこそ、例えば人工呼吸器を装着している患者の管理や気管カニューレの交換など、医師でなければできないような技術を磨いておくことが重要になります。今後は病院でやっていた医療がどんどん在宅に移っていく可能性があるため、なおのことこうした技術を身につけておくことは大切です。
いずれにしても、病院に来ずに在宅で医療を提供するという広義の在宅医療は、間違いなく21世紀のトレンドになるでしょう。今後ITの進歩によってこうした医療のあり方が普通になったとき、もはや在宅医療という言葉自体がなくなるくらいに、在宅医療が当たり前の世界がやってくるかもしれません。
(取材・文 医療ライター 横井かずえ)